2009年2月6日星期五

日本、日本語と私

ふつう 学期の 終わりに ビラン(総括)を します。 
こたびの 作文の 目的の一つは 長い文を書く です。 
だから 長い ビランを 書く と思います。 この文
の中で、日本の印象と 日本語の勉強を 話します。

中国と日本 は となりだ。 だから、子供の時、 
日本に 印象が あった。 あの時の中国(1990年)
、革命の 跡 まだ 完全に 消えなかった。 学校で 
映画のテーマは いつでも 解放軍が日軍を負かしたの 
スートリ だった。 日軍の大将 は いつでも 
「バカ!」を しかっている バカ だった。 
「バカ」から 日本の印象 が始まった かも しれない。 
でも、店で 日本製の値段が高くて、製品が ずっと 
売りきれった。 だれそれが 日本から 帰って 金持ち
になった ような うわさは よく 耳に 入った。 
「日本はきれい。」「日本人は働きばかり。」
「日本人はずるい。」。。。
でも、「日本人はバカ。」を一度も 聞かない。 映画と
現実 は 違う ようだ。 だから、「映画みたいだ」は 
「信じられない」にひとしい。

そののち、テレビに 日本のアニメが あった。 漫画が
はやった。 あの時、漫画 がすきなかった。 アニメを 
時々 見た。 特別な 興味が なかった。中学校の時
、明治維新に 興味を 覚えた。 なぜ 日本より 数十
倍 広い中国は まだ 貧しい? 日本 は どうやって 
発達国家に なった? そな問題を 考えていった。 
あの時、テレビのニュースに 靖国神社の問題や 教科書
の問題 を 繰り返し討論した。 

高等学校一年の時、従兄は 日本へ 留学した。彼は 同
じ 高等学校一年生 だった。その高等学校は 千葉県の
木更津市に あった。 その時から、私は 日本語を 少
々 独学した。 日本に 地震が よくあることだ。 地
震したたびに、私は Yahoo!JP に 地震情報 を 探し
た、皆に「大事がありません」を伝えた。 彼の入学
試験の時、日本の大学入学試験の問題は も読まれた。 
セーター試験も、東大、早大、名大も、前期、後期も。 
そして、彼は 名古屋大学の 工学部に入った。その時、
私は 日本へ 行きたくなった。

2006夏、大学の交流プログラムのうちに、京都へ 
行った。旅行日記を書いた。京の夏、本当に 本当に暑い。 
従兄といっしょに 清水寺、金閣寺、京都大学 を観
覧した。 新幹線で 名古屋へも 行った。 一週間が
ひじょうに早く過ぎた。
同じ年の秋、上海に、京大の学生たち を迎えた。 
その中の一人は 私に聞いた:
「反日の人たちに 殴られるの可能性がありますか?」
おもしろい先入観を持っていったな。
となりといえども、クリシエイ(cliché)が たくさん 
ある。

大学四年生の時、東京大学に 留学と奨学金の申し込み
を した。 でも、断られた。友人の一人は 広島の会
社へ 働く を決めた。 日本語の勉強の時(わたしに
、フランス語の勉強の時) いっしょに たくさん 
テレビドラマを 見た(たとえば のだめ
カンタービレ ^-^)。 日本語は おもしろい。
豊かな言葉と表現形式(和、漢、英を含める)が ある。 

もう一度日本に 行きたい。東京と富士山へ 
まだ行かなっかた。ぜひ行く。だから、
フランスに 日本語の勉強 を続ける。
私は たぶん 銀行に 働く、先生もしていま
す。 東京は アジアの金融セーター です。 
日本語 は 仕事に 役立つかも しれません。 

この一学期間に、たいへんお世話になりました、
ありがとうございました。